旧青梅街道を歩く①

「奥多摩散策 2/3 (奥多摩~惣岳渓谷)」

[2013/6/28]


旧青梅街道は、かつて江戸時代に江戸(東京)と甲州(山梨)を結び、交易の重要ルートとして栄えた街道だ。
昭和20年に新道(現国道411号線)が一般解放されたため、旧街道の方は忘れ去られ廃道となっていたが、
平成元年に地元の手により散策路として蘇り「奥多摩むかしみち」という愛称がつけられている。


旧青梅街道 (奥多摩むかしみち)


道中には神社が多く、当時の生々しい民間信仰の遺構が多く残されている。
また、ダム建設の際に使われていた鉄道(水根貨物線)の廃線跡がみられる。
途中民家のすぐ脇を通り抜ける区間があるらしく、散策路とはいっても地元の人々にとっては何の変哲もない日々の生活路なのだろう。


旧青梅街道 [奥多摩~惣岳渓谷]

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奥多摩駅から数分歩いて旧街道入口へ。案内看板があるのですぐにわかる。


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入口から急坂を少し登り、未舗装の狭い道に入る。
道脇には今ちょうど身頃のアジサイが咲いている。


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しばらく進んだところで、早くも水根貨物線の廃線跡を発見。
街道と線路が地上で交差しているのはここだけだ。


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線路を覗いてみると、すぐ先にトンネルが見える。
早速入ってみようと思ったが、草木が容赦なく生い茂っているのでやむなく断念。


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交差地点からしばらくの間、街道とすぐ平行して線路が敷かれている。


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そして街道が平行する線路を少し離れるところで、立派なコンクリート製の橋梁があった。
橋上はレールも残っているが、雑草ですっぽり覆われてしまっている。


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ずっと撤去されることなく、半世紀前の姿のまま残っているらしい。


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一旦線路を離れたところで、道はすぐ舗装路になる。道中には公衆トイレが数ヶ所設置されている。
しかし飲食店や自動販売機などは一切ないので、飲食物は駅前の店で事前に買っておく必要がある。


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しばらく鬱蒼とした森の中を進み、小さな集落へと辿り着く。
街道は集落の中をすり抜けるようにして続いている。


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また集落が見えてきたところで、再び貨物線の橋梁を発見!


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巨大なガーダー橋だ。これは素晴らしい。周りの自然と見事に調和している。
下から見上げるのもあってか、なかなか迫力がある。


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ガーダー橋を過ぎて、新道(国道411号線)を跨いだ先に「弁慶の腕抜き岩」というものがあった。
岩の下のほうに腕が一本すっぽり入るぐらいの穴が開いている。
弁慶のような力持ちでないとこんな穴は開けられないと、往来の人々が関連づけて言い始めたのが名前の由来らしい。


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国道と沿うところで、再び立派な橋梁があった。
コンクリート製の橋が国道の真上に聳え立つようにして建てられている。


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全長6.7Kmの貨物線のうち、何と合計23本の橋梁と23本のトンネルがあるというのである。
旧街道からみられる橋梁は、これまでの3本だけだ。


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コンクリート製の橋梁を過ぎるとすぐ、道脇にいろは楓の巨樹がある。
旧街道のちょうど中間地点だ。
これ以後、道中に廃線跡はほぼ見られなくなる。
街道は険しい山道に変わり、峠を越えて奥多摩湖へと達するのだ。

山奥深い渓谷に沿って、僕は未見の地を存分に味わいながら少しずつ道を進んでいった。


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