「伊豆半島日帰り縦断 3/3 (伊豆急下田~河津~二階滝~天城峠~修善寺~三島)」
[2015/11/30]
iPhone忘れが引き起こした”オワタフラグ”を覆し、私は石廊崎から下田駅へ帰還した。
旅程の狂いを覚悟したが、iPhoneを忘れたバスがたまたま旅程通りに乗る便だったため、
予定通り旅を続行する。これから行くのは、伊豆半島縦断の中で最も歴史の深い路だ。
下田街道
「下田街道全区間(下田~三島)」
伊豆半島の中央部は天城山脈がみっちりと連なっていて、半島を南北に分断していることは前置きでも述べた。
この厳しい土地事情から、伊豆の南北陸路は他の地域と比べて整備が致命的に遅れたといわれているが、
それでもなお半島唯一の幹線縦断道路として江戸時代から君臨していたのが、三島と下田を結ぶ下田街道だ。
東海岸の道路が開通してからは動脈としての役割を譲ったが、伊豆南北縦断路の元祖はこの下田街道である。
復路で決行する行程のコンセプトは、下田街道をメインとして公共交通で伊豆中央部を縦断するというものだ。
道中にはかの有名な天城峠が待ち構えており、峠付近に限りバスを降りて自らの足で「天城越え」をしたいと思う。
下田街道は下田からだと公共交通路線が通じてないため、まずは下田から伊豆急に乗って河津へ向かおう!
踊り子108号 [伊豆急下田~河津]
13時02分に発する踊り子108号は、伊豆急下田を起点として東京へ直通で向かう特急である。
後発の鈍行だと河津での路線バスの接続が悪いため、特急料金がかかってしまうのはしょうがないが、
やむなく特急に乗ることに。一つのルート開拓のためには、短区間だけ特急でもやむを得ない選択だろう。
特急踊り子といえば今も昔もこの白地に緑の国鉄車で、世代交代が激しい特急の中でも往年の風格を放っている。
上野東京ラインが開通してから、踊り子は臨時特急として常磐線の我孫子にも乗り入れるようになった。
大動脈東海道で未だに生き残って走り続けている、定期の国鉄特急。なかなか希少な存在だ。
日中出発の便なので車内はガラガラ。定刻が来ると列車はひっそりと発車した。
昼食を食べる時間が他にないので、河津に着くまで下田駅で買った駅弁を食す。
その名も「ひれかつ弁当」。2005年に発売開始された弁当で、魚介系が多い伊豆のラインナップの中でも、
コレは貴重な肉メインの弁当。非常にシンプルな構成だが、個人的には奇をてらわない方が好きだ。
カツはやわらかく、キンキンに冷えてはいるが普通に美味しい。腹減ったら肉食うのが一番!
下田を出た踊り子108号は、長いトンネルを潜った後、間もなく河津へ到着する。
降りたのは私一人と地元客が数人のみ。河津からは東海バスに乗って下田街道へ入る。
ホームを発していく列車を撮影した後、私は駅ロータリーにあるバスターミナルへ向かった。
南伊豆/新東海バス天城線 [河津駅~二階滝]
南伊豆東海バスと新東海バスが共同運行している天城線は、河津から天城峠を越えて修善寺へ向かうバス路線だ。
区間運行の便もあるが、河津~修善寺の全線を走りきる便は現時点で1日10本。それなりに本数はあるようだ。
幾多の伝説を刻んできた下田街道を辿る路線なだけに、地元需要の他に観光としての需要も手堅く持っていて、
天城線内で自由に乗り降りできるフリー切符「天城路フリーパス」も販売されている。
天城線は、少し前まで昔のボンネットバスが走っていたというから驚きだ。しかも定期の観光便で。
ボンネットバスというのは、トトロや三丁目の夕日で出てくる、前側が出っ張ったクラシックバスのことだ。
平成生まれには、ボンネットバスは”懐かしい”というよりも“完全にファンタジー”だが(バスガールも含めて)。
13時35分発の修善寺駅行きの乗客は、始発の時点で私含めて3人のみ。日中の便だからこんなものだろう。
天城峠の旧道を南側から最短で越えたい場合は、峠一歩手前の二階滝というバス停で降りればいい。
バスは河津駅を出ると県道を辿るが、山々が迫ってきたところでメインの下田街道へ入った。
下田街道もとい国道414号における最大の見せ所といえるのが、この「河津七滝ループ橋」だ。
正式名称は「七滝高架橋」といい、峠越えまでの高度を一気に稼ぐために建設された巨大橋梁である。
昔この区間は山の中腹をうねるように道が敷かれていたというが、78年に起こった地震で道路が寸断してしまい、
その代替として新たにループ橋を建てて国道に昇格させたという。竣工は81年。土木学会田中賞も受賞している。
巨大ループ橋梁が醸し出す存在感は伊達ではなく、バスの中からでも圧迫されるような迫力が味わえる。
橋上へ突入すると小さい円を描き、低速を保ちながら二回転して坂を上っていく。
何ともいえない光景だな・・・!
大都会東京にありそうなゴッツイ巨大橋梁が、歴史深い天城路で粛々と稼動する光景に、地味に萌えた。
河津七滝ループ橋を過ぎるとバスは山の中へと入っていき、カーブの連続する山道を進む。
「ここは何処なんだ??」といいたくなるような深い谷が広がっている。
天城山の隙間をひた走っていくバス。伊豆中央部の山脈真っ只中ってわけだ。
この先には有名な天城峠がある。現在、天城峠付近の道は現国道と旧道に分かれていて、
現国道はメインルートとして、旧道は観光道として整備されている。私が行くのはもちろん旧道の方。
天城峠の整備された旧道は6km近くもあり、現国道の合流点から全線突破しようとすると時間がかかる。
そこで今回“ラクをしたかった”私は、峠付近を出来る限り最短距離で突破するルートを考えた。
掲げるコンセプトが壮大な割りに、やろうとしてることが根本的に貧弱であるw
14時16分、天城線バスは定刻通り二階滝バス停に到着した。
二階滝からは隣接する休憩拠点から遊歩道が延びており、国道414号の旧道に繋がっている。
遊歩道から旧道に突入し峠の方へ進んでいけば、あの有名な天城隧道が口を開いているはずだ。
二階滝から天城峠の頂へ達するまで、距離にして約2km。そんなに大した距離ではないが、
探索時間は限られてるので早めに進んでいこう。
二階滝~天城峠(徒歩)
二階滝の休憩施設(トイレ)脇を見ると観光案内板があって、そこから遊歩道が延びていた。
まずは遊歩道を上って、国道の旧道合流点へと向かう。
天城峠のブランド力は伊達ではないらしく、すっかり観光化されていて行楽客が多い。
鬱蒼とした遊歩道を上っていくと、旧道との合流点に問題なく行き着いた。
合流点からは、ひたすら旧道を上っていくだけだ。
二階滝から天城隧道へ達する中間付近で、旧道は苔むしたコンクリート橋を渡る。
その名も「寒天橋」。石川さゆりの「天城越え」の歌詞でも出てくる、有名な橋だ。
寒天橋の脇にはバス停があって、橋上に季節限定運行のバスが停まっている。
季節限定運行のバスを使って寒天橋から峠の頂へ向かってもよかったが、
シビアな乗り継ぎを要求されるし、天城峠に乗り鉄の小細工を持ち込みたくなかった。
徒歩で南側から天城峠・天城隧道へ向かうなら、二階滝から最短で行くルートがベターだろう。
紅葉も冴え渡っている天城の旧道。通行人は思った以上に多い。
自転車乗りやランナーや部活帰りの学生、バイクや一般車などなど、多種多様。
そこはやっぱり天城峠ブランドなのかもしれない。旧道は車でも通行可能となっており、
愛車で走破したい人も多いのだろう。旧道ではあるが、一応ここは現役バリバリの道路なのだ。
道は相変わらず深い山の端を縫うように延びており、息を切らしながら順当に進む。
「峠はまだなのか……!」心待ちにしながら歩くことしばらくして、
次第、眼前に絶望的な山壁が聳え始めた。このすぐ先に、超有名隧道がある…!
来たぞ!!天城隧道!!
石廊崎に続き、今回の旅でお目当てにしていたもう一つの物件に、ようやく行き着く。
全国のトンネルの中でも、恐らく世間的に最も有名な隧道の姿がそこにあった。
かつて伊豆半島の南北縦断路を担った、偉大なる”穴”のお出ましだ。
天城隧道
天城隧道。石川さゆりの演歌で有名なこの隧道は、正式名称として「天城山隧道」と名乗っている。
全長445.5mの石造隧道であり、竣工は1904年(明治37年)。現在日本に現存する中では最長の石造道路隧道である。
石造としての最長ブランドも掲げながら、隧道として初めて「国の重要文化財」にも指定された第一級の物件なのだ。
現在は新しく開通した新トンネルが天城峠のメインルートとなっているが、新トンネルが開通したのは70年代に入ってからで、それまではこちらの天城隧道が明治~大正時代からずっと活躍していた。
開通から既に110年のときが経過している。
隧道開通以前は生死を分かつほどの峠越えを強いられていただけに、この一本の隧道がもたらした功績は偉大だった。
古来掘られたトンネルの特徴の一つに「坑門」がある。坑門というのはトンネル入口に据えられた構造物のことだ。
中には装飾的な意味合いの濃いモノも多いらしいが、建設者の威厳をもって隧道の名が刻まれる「扁額」や、
坑門を支えるために脇に据えられた「翼壁」、雨水をきるために入口上部に設けられた「笠石・帯石」など、
機能性を含んだデザインとなっている。通行人を受け入れるトンネルの”顔”みたいなものだろうか。
まるで古代遺跡のような風格。(隧道名が右書きなのがまたたまらない)
近代式トンネルの基本的な意匠は元々イギリスから持ち込まれ、隧道建設の技術とともに輸入されたらしい。
後に一つの様式美となり独自の発展を遂げた隧道の意匠は、地域によって大きく異なってくるようだが、
高度経済成長を皮切りにして、急速的な技術の発達ともに簡素なスタイルへと変化していった。
現在一般に見られるトンネルは「扁額」以外に装飾を限りなく削ぎ落としていて、あまり面白味がないが、
古来の隧道は鑑賞する楽しみが沢山あると思う。カッコイイと思う。
RPGゲームの迷宮ダンジョンに入っていくような気分だ。
隧道に入ってみると独特の雰囲気にのまれそうになるが、中は照明があり徒歩でも全く問題ない。
昔の人はこうして隧道の暗がりの中を自らの足で歩いたのだ。昔の交通スタイルに思いを馳せてみるのもいい。
天城隧道はひたすら真っ直ぐ山脈をぶち抜いており、入口から向こう側の出口が見える。
暗がりの中を歩くうち、向こう側から轟音が聞こえてきた。車が入ってきたのだろう。
しばらくするとヘッドライトが間近に迫ってきて、白い軽車が私の横を走り去っていった。
見た感じ、この隧道は車の行き違いはほぼ不可能だと思われる。鉢合うと修羅場になるかも。
500mほど突き進むと、やがて北側の出口に出た。隧道の前はちょっとした園地になっている。
トイレと車を停めるスペースがいくらかある。休日は観光客で賑わうのだろう。
すっかり観光化されてはいるが、古きよき隧道としての威厳が往時のまま残っていて楽しめたぞ。
保存状態が良く、観光誘致の飾り付けがされてないのが好印象。交通物件は素のままの方が美しい。
しばらく坑門を鑑賞した後、キリのいいところで隧道横から下る山道へ入った。
隧道先から続くダートの旧道を制覇しても良かったのだが、それだと次乗るバスに間に合わない。
旧道を進む場合は大きく迂回した後に現国道へ合流となるため、思った以上に所要時間がかかってしまうが、
隧道入口すぐのところから延びる山道を辿れば、ほぼ直下にある現国道のバス停に真っ直ぐ行くことができる。
バスの時間が迫っているので、半ば突っ走る勢いで山道を駆け下りていく。
標高80mほどの高低差を下ると、道は新トンネル入口の脇に出た。
現国道出てすぐのところに天城線のバス停がある。ここから再びバスの世話になるぞ!
南伊豆/新東海バス天城線 [天城峠~修善寺]
14時54分に天城峠を発する修善寺行きは、ほぼ定刻通りやってきた。
冬至に近い今日、日が暮れる前に半島を脱するには、バスですぐ北上する必要がある。
天城峠から終点修善寺までの所要時間は50分弱。何だかんだ言って馬鹿にならない道のりだ。
峠は越えたので、下田街道はひたすら下りが続く。辺りは相変わらず深い山の中。
浄蓮の滝のバス停では観光客が降りていった。浄蓮の滝も「天城越え」の歌詞に出てくる景勝地の一つだ。
眠り込んでしまったため、車窓はあまり記憶が無い。早朝からぶっ続けで色々やってきたのが裏目に出たか。
バスに揺られながらウトウトしてるうち、気がつくと既に天城山の中を抜けていた。
天城峠から下田街道を忠実に走り続け、バスは終点の修善寺へ到着する。
修善寺からは鉄道が街道と並行して走ってるから、一行程として有難く利用させて頂こう。
伊豆中央を公共交通で突破する、最後の切り札。その名も駿豆線(すんずせん)!路線名が可愛い。
伊豆箱根鉄道駿豆線 [修善寺~三島]
伊豆箱根鉄道駿豆線の歴史は深く、下田街道を取り巻く中伊豆の発展とともに生きてきた鉄道路線である。
現行の駿豆線の大元となる豆相鉄道が開業したのは、何と19世紀末期のことであった。
1898年に開業し、後に起点三島から中伊豆の中心地となる修善寺まで延伸。
これ以後、駿豆線は地元需要だけでなく観光需要も伸ばし続け、県内屈指の優良路線となっている。
古くは直通で国鉄の列車が乗り入れていた駿豆線。昔は常磐線から乗り入れる急行もあったという。
現在は東京からの特急「踊り子」が乗り入れるのみで、他は全て伊豆箱根鉄道の鈍行だけだ。
列車の本数は多く、大手私鉄も顔負けの賑わい振りを見せている。運賃も比較的安い。
地元では駿豆線のことを「いずっぱこ」と呼ぶらしく、駿豆線と呼ぶ人はほとんどいないのだとか。
切符を買って学生と混じりながらホームへ向かうと、独特の顔つきをした列車が停まっていた。
15時50分発の三島行き鈍行だ。三両編成のワンマン列車で、水色の車体に太い青帯を巻いている。
今時珍しいボックスシート主体だが、学生で一杯なのでドア脇でやり過ごすことにしよう。
若干ヘロヘロになりながら眺める駿豆線の車窓。夕暮れの中でボンヤリとしているが、
田園や住宅の中を走る一方で、遠くに富士山が霞んで見えるのが印象的だ。
住宅~田園~山~川~海、土地の全ての要素を取り巻きながら、満杯の乗客を乗せて列車が走る。
当たり前のことだが、それ自体が素晴らしいと思うし、地方の鉄道として最良のかたちなのだと思う。
16時24分、列車は終点の三島へ到着。これで伊豆中央部の縦断ルートは無事完遂だ。
観光としての役割に特化した伊豆急と、地元密着の鉄道として繁栄を遂げた駿豆線。
同じ伊豆半島を走る両私鉄は、実に対照的だった。寧ろ、日帰りで一気に乗り通して良かったかもしれない。
三島駅構内は立ち食いそば屋があり、ノスタルジックな雰囲気が漂っている。
色々あって深刻なトラブルも犯してしまったが、伊豆の日帰り旅はこれにて終了。
駿豆線に別れを告げた後、何事もなく新幹線に乗って帰路に着いた。
・旅の総運賃:13710円(JR運賃+私鉄運賃+バス運賃+特急券)
・乗った乗物の数:鈍行3本+バス4本+特急1本+新幹線1本
・総距離/所要時間:約150km/約8時間(熱海~三島)
一時はどうなることかと思ったが、「結果的に良しか!?」とオワタフラグを覆した今回の旅。
致命的トラブルが、逆にブログのネタ的に美味しくなってしまったという結果となった。
何はともあれ、旅を救ってくれた石廊崎の救世主おばちゃんに感謝だ。マジリスペクトっすよ!(by DA○GO)