「真岡汽車旅 1/2 (取手~下館~茂木)」
[2015/2/14]
2月14日。カップルがラブ一色に染まるこの日に、私は蒸気機関車に乗りに行くことにした。
近年SLブームが再加熱していて年齢層幅広く人気を集めてきているが、私も最近「蒸気」の熱気に焼き付けられた一人なのだ。
計画~導入
今日の舞台は真岡鉄道。水戸線・常総線と接続する下館から茂木までを結ぶ三セク鉄道だ。
終着駅の茂木は栃木最東端の駅で、今回はそこを目的地とした。
茨城南部から約90km、片道3時間強の道のりである。
旅の起点は茨城最南端の取手だ。ここからまず関鉄常総線に乗って下館へ行く。
下館からは真岡鉄道のSLに乗ってさらに北上し茂木を目指そう!
使用切符は「ときわ路パス」。茨城県内の鉄道が乗り放題となる切符で、値段は2150円とお手軽。
この切符は少し前まで真岡鉄道は対象外だったが、2013年に追加され一層お得になった。
もちろん、SL整理券を買えばこの切符でSLに乗ることも可能である。
午前8時半、自宅から常磐線に乗って取手までやってきた。
JRの券売機で「ときわ路パス」を購入し、こじんまりした常総線の改札へ向かう。
首都圏のくせして今日乗るのは気動車と客車列車だけで、電車には一切乗らないから面白い。
関東鉄道常総線 [取手~下館]
関東鉄道常総線は全国でも珍しい「通勤非電化路線」だ。
この路線は一切電化されておらず、油を燃やして走る気動車で運行されている。
未だに非電化である要因は、沿線近くにある気象庁の磁気観測所の影響だ。
磁気観測所から半径30km以内は交流電流にしなければならない法令が定められており、交流で電化しようとすると莫大な設備費がかかるため未だ電化に至ってないのだ。
ホームに停車中の二両編成気動車は、00年代生まれの新型車両2300形。
かつての常総線といえばベーシュ地にオレンジ帯を巻いた気動車を想起させるが、今主力で走ってるのは白地に青と赤の帯を巻いたディーゼルカーである。
車体を「ブルルン!」と震わせ、常総線の気動車が起点取手を発車した。
取手からしばらくは住宅街を進んでいくので、車窓はあまり面白みがない。
座席はロングシートで乗客もまちまちだが多い。
つくばEXと接続する守谷で乗客がドッと増えた。
車窓は相変わらず住宅地が続くが、少しずつ緑が多くなってきた。
右手には筑波山が見える。水海道が近づくと、列車は閑散とした田畑を進む。
車両基地の横を通り抜け、再び住宅が多くなると関鉄の拠点である水海道へ到着となる。
水海道駅
これまで複線通勤路線だったが、水海道から常総線は単線ローカル線となる。
時刻表では全線通しの下館行きと名乗っているのに、水海道で単行気動車に乗り換える必要があるらしい。
さっきからたびたび案内されてた「水海道乗り換え下館行き」って、そういう意味だったのか!
水海道で乗客が一斉に単行へ乗り継ぎ、あっという間に満席となった。
数分停車の後、終点の下館向けて出発する。
都内から一時間弱にして、ただっ広い田畑を単行気動車がひた走っている。
ただっ広くもポツポツ住宅が並んでるのは茨城らしい風景だ。
列車はたびたび警笛を鳴らしながら進む。
下妻で地元客がドッと降り、3分だけ停車する。
終着が近づくと住宅が多くなってきて、列車は定刻通り下館に到着した。
跨線橋を渡り、第三セクター真岡鉄道の乗り場へ移動。予想以上に多くの観光客で賑わっている。
下館からはSLもおかだ。
20年近く前から運行しているSL列車で、主に土日に走っている。
小型機関車に客車3両を連結しての運転だ。ホーム上の臨時切符売り場でSL整理券を購入。
整理券は500円とお手軽。SL料金値上げが激しい中500円を保ってるのが素晴らしい。
SLもおか [下館~茂木]
「SLもおか」が運行を開始したのは1994年で、主に土休日に一往復運行されている。
冬季や閑散期は運休となることが多いSL列車だが、もおか号は年中通して走っており、そういう意味では希少な存在である。
特に冬季は盛大に煙が出るから尚更だ。
私はここ数年で計5本のSLに乗車した。
最東端旅で初めて乗ったばんえつ物語号に始まり、みなかみ号、かわね路号、パレオエクスプレス号、はこだてX’masファンタジー号と順々に乗ってきた。
出発時刻が近づくと黒煙をふかして動き出し、バックでホームに入線してきた。
真岡線の歴史は古く、国鉄発のローカル線として開業した経緯を持っている。
国鉄初の地域輸送路線として着工に至ったのは、黒石線・倉吉線・湧別線・岩内線・真岡線の5路線だが、このうち真岡線は明治45年に開通し着工された5路線の中で一番早い開業となった。
開業以来、国鉄~JR~第三セクターと運営元を変えつつも真岡線は存続している。
真岡鉄道は牽引する蒸気機関車を2機持っていて、C11とC12がある。
C11もC12も小型の機関車だが、より小型なのはC12でC11の方が少しだけ大きい。
どちらで運行されるかはその日に来てみないとわからないが、今日はC11で運転されるようだ。
もおか号の主力といえばC12で、C11は他線の出張や予備機の役割に留まっている。
なのでC11が真岡線で走る日は少なく、乗りに来た日がC11ならラッキーだと思っていい。
個人的にはC11の方が風防が取り付けられていて、蒸気機関車らしい風貌なので好きだ。
バレンタインデーの今日は子供連れが多く、車内の座席はほぼ全て埋まった。
私が今手元に持っているのは、運行開始間もない頃に発売されたSLもおかの走行ビデオテープ。
当時病気でSLもおか号に乗りに行けなくなってしまった私に、祖父がお土産にと買ってきてくれたものだ。
物心つくまで自分はこのビデオを毎日見ていたというから、幼い頃から相当な鉄だったんだと思う(苦笑)
約20年を経て、今は亡き祖父と乗るはずだったもおか号に今回初乗車となる。
定刻が来ると汽笛一声!SLもおか号は茂木向けて出発した。
車窓は常総線よりも長閑な風景が広がっている。下館からしばらくは住宅と田畑を抜けていく。
ここは関東平野の端っこで、終点近くになると平野を脱し里山へ入っていくことになる。
沿線は踏切が多いが、止まってる車の中から「何だアレ!?」みたいな視線で見てくるから面白い。
何の変哲もない踏切待ちでいきなり蒸気機関車が来たら、そりゃびっくりするだろう。
住宅から離れたところでは盛大に汽笛を鳴らし、空高く響き渡った。
真岡駅
観光拠点、真岡でしばらく停車する。結構長い間停車するので記念撮影も可能だ。
真岡駅は多くの観光客で賑わっており、幼稚園の団体が大勢乗り込んできた。
長時間停車の間、乗客が半分ぐらい入れ替わる。
ごった返す中アナウンスが流れると、汽笛を鳴らし真岡を出た。
真岡から益子にかけては、真岡鉄道の中でも有名な二つの橋梁を渡る。
真岡を出てすぐに渡るのが五行川橋梁で、益子手前で渡るのが小貝川橋梁。
どちらの橋梁も土木学会から「土木遺産」に認定されており、土木構造物としては貴重な物件とされている。
真岡線が開業する以前の鉄道黎明期に造られた橋で、元々幹線で使われていたものだ。
如何せん地味な感は歪めないが、この二つの橋は鉄道黎明期の面影を残しているのだ。
市塙辺りから汽車は人家の少ない里山へ入り、力強いドラフト音を立てて進む。
この区間は「天矢場峠」という、ちょっとした難所があるのだ。
撮り鉄には定番とされる名所である。
線路沿いで多くの撮り鉄がカメラを構えているが、線路際寸前で構える人が多く「大丈夫なのか?」と思ってしまう。
小高い丘を進み有名な天矢場峠を過ぎると、汽車は惰性で25パーミルの急勾配を下っていく。
下館からちょっとすつ上ってきた分を一気に下るから、それなりに急な下り坂だ。
やがて素朴な市街へ入ると、汽車は栃木最東端駅の茂木へ到着した。
到着すると先頭部に人が集まって記念撮影タイムが始まる。
乗客を降ろした後、汽車はバック運転で転車台へ向かっていった。
茂木駅
茂木駅前は商店が立ち並んでいるが、他は特に何もないようだ。
駅舎は新築の真新しいもので、駅構内には蕎麦屋が併設されている。
栃木最東端駅の記念碑は残念ながらなかった。
ちなみに、茂木は「もてぎ」と読むらしい。なかなか難読な駅名だ。
私は今までずっと「しげき」だと思っていた。
ホームへ戻り、転車台へ向かうC11を観察することに。
蒸気機関車はバック運転が苦手なので、大概終着で向きを変えるための転車台が設けられている。
もおか号は復活当初転車台がなかったらしく、転車台を設けるまでは復路をバックで運転してたという。
バック運転は前向き運転とはまた別のテクニックが必要なのだとか。
転車台にSLが入ってきて回り始めると、脇でマジマジ見つめる子供達から歓声が上がる。
ここの転車台は電動で動いていて、回転中は素朴な電子メロディが流れた。
ゆっくり半回転し向きを変え終わると機関車は給水と石炭補給を始めた。
復路の出発は二時間半後で、それまで一休みといった感じかな。
帰りももおか号で行ってもいいが、もう一つ見てみたいSLが真岡鉄道にはあった。
エアーで動くSLが、真岡駅の観光施設にあるというので見に行ってみよう。
機関車の転車シーンを眺めた後、私はホームで12時41分発の下館行きを待った。