「三陸縦断作戦 2日目 (宮古~久慈~八戸~野辺地~大湊)」
[2015/4/8]
1泊2日鈍行とバスを乗り続け、東京から本州最北へ向かう旅も佳境を迎える。
今回はここからが本番といっていいだろう。大湊まで残された路線は4路線だ。
いずれも地図を見る限り線路が沿岸沿いに敷かれていて、どんな風景なのかそそられるものがあった。
宮古駅
宮古からは北リアス線に乗る。
二年前に社会現象を巻き起こした大ヒットドラマ「あまちゃん」の舞台になった路線だが、
高校時代からTV離れしてる私は、肝心のそのドラマを一度も見たことがない。
正直「じぇじぇじぇ」の意味すら知らない。マジで。
国民的ドラマの流行語大賞の意味すら知らないまま訪れるのはどうかと思ったが、
私は純粋な乗り鉄目的で来たから知らなくても別に良いだろう……w
あまちゃんも知らないがAKBも……前田○子と大島○子と指原○乃しか知らない。
駅前にサイン入りボードがあるってことは、メンバーが直々に三鉄を応援しに来たのか??
真ん中が顔出し撮影用にくり貫いてあるが、俺は恥ずかしいからやらんぞw
あまちゃんとAKBの洗礼で時代錯誤野郎と化した私は、駅舎内で久慈行きの改札を待った。
北リアス線の全線運賃は1850円。発車時刻が近づくと改札が始まる。
三陸鉄道北リアス線 [宮古~久慈]
三陸鉄道北リアス線は、宮古から八戸線と繋がる久慈までを結んでいる。
南リアス線と同じく前身は国鉄で、昔は宮古線(宮古~田老)と久慈線(普代~久慈)に分かれていた。
どちらも70年代に開業した歴史の短い路線だが、80年制定の国鉄再建法によって廃止の危機へ追い込まれる。
この危機的状況を救ったのが第三セクターの三陸鉄道であり、全線を引き受けることになった。
当時の宮古線と久慈線は分断されていて二路線を繋げるための延伸工事が行われていたのだが、この工事も三鉄が引き受けることになり、1984年に宮古~久慈間が全通。
「北リアス線」として新たに開業を果たし三陸縦貫線の一部を担っている。
こじんまりとしたホームに停まっていた車両は、三陸鉄道の最古参車36-100形。
軽快車が多い三セクの中でも、昔の国鉄車に近い重厚設計で製造された気動車である。
南リアス線の新型車も良かったが、私はこの元祖三鉄車に乗りたかった。やたらデカイ方向幕が良い。
「ご乗車ありがとうございます。この列車はリアス式海岸を北上する久慈方面行きです」
3.11被害を受けた北リアス線の復活力は三陸復興の象徴としてたびたび取り沙汰されている。
最大限の経営努力を行っており「あまちゃん効果」もあってか今は黒字経営だという。
車内は何時の間にか満席状態。ガラガラだった南リアス線とは対照的である。
地形図を見る限り、北リアス線のハイライトは後半だと思う。
リアス地帯を突き抜けていた南リアス線とは異なり、標高の高い段丘を進んでいくことになる。
宮古を出ると列車は間もなくトンネルを何回かくぐり抜け、閑散とした山の中へ。
トンネルの長さはかなりのもの。しばらく山の中を進むようで、海はまだまだ見えてこない。
小本(おもと)という変わった名の駅で乗客が一気に減った。観光拠点なのかもしれない。
島越辺りでようやく海が見えてきたがチラチラと見えるだけだ。
田野畑からは一旦内陸に入り長い長いトンネルを抜けていく。
トンネルとトンネルの間には必ず駅がある。
深い山々で断絶された集落を結んでいることが、乗っていて分かる。
大沢橋梁
「間もなく、長さ176m、高さ30mの大沢橋梁を渡ります」
普代を出て白井海岸を過ぎたところで、北リアス線はハイライト区間に突入する。
撮影名所として有名な「大沢橋梁」だ。ここから眼下に見える港はあまちゃんの舞台になったらしい。
純粋な鈍行なのにも関わらず、橋通過時に列車は徐行どころか一時停止。観光案内もちゃんとやった。
あまちゃん人気は半端なく、ドラマの案内が流れると観光客が一斉にカメラで撮り始める。
「ああここが○○が○○した場所なのか!」とかリアクションしたいところだが、私はあまちゃんを一度も見たことがないので何が何やらわからない。
安家川橋梁
「間もなく、長さ302メートル、高さ33メートルの安家川橋梁を渡ります」
やっぱりあまちゃんの舞台になったらしい堀内を出てすぐのところで、列車は「安家川橋梁」へ。
北リアス線の中でも巨大な橋であり、高さもあるため右手には絶景が控える。
大沢橋梁と同様、ここでもたっぷり一時停止するようだ。
海岸線を走る国道の向こうに、険しい北三陸の断崖地帯が見える。
大沢橋梁よりもこちらの方が眺めが良いように思えた。
「あまちゃん区間」から先は絶景だらけだ。列車は険しい断崖の上をひた走っていく。
断崖を下り人家が多くなると拠点となる陸中野田へ到着する。
陸中野田からは海岸線を離れ野山を進むようだ。車内は地元学生で賑わっている。
北三陸も震災の爪痕が深く残っていて、車窓から建設途中の堤防が見えた。
山中のちょっとしたピークを過ぎれば、終点久慈まであと少しである。
14時50分、北リアス線の鈍行は終点久慈に到着した。
これで三陸鉄道ともお別れだ。久慈からは再びJRの世話になる。
次回訪れるときは恐らく、山田線の不通区間も三鉄に移管されているだろう。
次乗る八戸行きが発車するのは6分後である。乗り継ぎがややシビアで心配していたが、
何のことなく向かい側のJRホームへ移動。列車も至って空いていたから良かった。
八戸線 [久慈~八戸]
八戸線は、三陸鉄道と接続する久慈から八戸までを結ぶ地方交通線だ。
三陸縦貫線の北端を担う路線で、定期で走ってるのは地域輸送に特化した鈍行のみ。
開業は1984年と古い。久慈以南の三陸鉄道とは約100年の隔たりがある。
八戸線の車両は全国でもお馴染みのキハ40。白い車体に赤い帯が渋い。
ここのキハ40は、ワンマン改造やエンジン換装を一切行ってないことで知られる。
外装、内装、音、何もかもが国鉄時代そのまま。もちろん非冷房。しかも閑散地区にして異例の3両編成!
関東では滅多に見られない、古き良き国鉄時代の運行風景だ。
14時56分発の八戸行き鈍行は、閑散とした状態で久慈を発車した。
「ガラガラガラ!」と唸る原形エンジンが最果て旅情を駆り立てる。
久慈からさっそく海沿いを進むのかと思いきや、列車はエンジン全開で深い山の中へ入っていく。
左手には雄大な山景色が見える。10分くらい上り勾配を上ると集落へ入り侍浜へ到着する。
この峠区間(陸中夏井~侍浜~陸中中野)の標高差は150m。
八戸線は海線である一方で山線でもあったのだ。
侍浜からすぐのところで峠を越え、惰性で急勾配を下っていく。
峠を越えて、陸中中野手前で列車はようやく海沿いに出た。
ここから先しばらくは海すれすれを走る。眺望はすこぶる良い。
人家も見当たらない風光明媚な景色が続く。
古い国鉄車の窓は傷だらけで、カメラのピントが上手く合ってくれない。(半数以上が失敗)
まあ、これはこれで旅してる感が滲み出て良いかも。
宿戸手前で列車は海を離れた。車内は未だガラガラ状態。
海岸線を離れると、鬱蒼とした森林を進んでいく。
長閑な道のりを進み、階上(はしかみ)という難読駅で列車交換のため3分停車する。
かつて有人駅だったこの駅では2005年までタブレット交換が行われていたという。
対向列車が来るとすぐさま発車。階上から先は閑散とした住宅地をひた走る。
唸る原形エンジン、味のある車掌アナウンス、いい感じにこなれたボックス席。
もはや時代錯誤といえる旧時代ローカルの鉄道旅情を、私は今体験している。
しばらくのんびりした景色が続いたが、種差海岸辺りで再び海が迫ってきた。
どうやらこの区間は防風林の伐採を行い景色を見やすくしたらしい。
あのJRが景観に配慮するような活動をしてたとはな………w
陸奥白浜でようやく「陸奥」の名を聞く。仙台から陸前、陸中、陸奥と順当に通ってきたわけだ。
陸奥白浜を出たところで断崖のすれすれを通り、人家なしの絶景が広がった。
内陸突端をゆっくり駆け下りると、列車交換駅の鮫(さめ)に到着となる。
鮫から八戸線は本数の多い生活路線となり、工場や繁華な住宅を進んでいく。
白銀からは学生で満員状態に。
陸奥湊を出てすぐのところで高架に上がり、今は使われていない貨物線と合流する。
八戸駅
通学路線の様相を呈したところで、列車は終点八戸に到着した。
これで三陸縦貫線を擬似完乗したことになる。BRT、路線バス、三セク等、多彩な道のりであった。
最果て終着の大湊まで残り100kmをきった。時刻は既に夕方。空はすっかり晴れ渡っている。
八戸からは、青い森鉄道に乗って野辺地まで行く必要がある。
青い森鉄道 [八戸~野辺地]
青い森鉄道は紛れもない三セク路線であり18切符で全線乗車することは不可能だが、
八戸~野辺地~青森の3駅間に限っては特例があり、途中下車をしない限り18切符で乗車可能となっている。
これは、JR路線として孤立してしまった八戸線と大湊線に対する接続対策だ。
もちろん接続駅以外は一切下車不可なので、注意したいところ。
17時13分の青森行きは発車寸前になって混雑してきた。
車両は2両編成の701系。立ち客が出る中、列車は定刻通り発車する。
車窓はただっ広い田園が続くが、本州最北らしい風景を何処となく醸し出してきた。
上北町で乗客がドッと降りていく。陽は既に暮れかけている。
ここまで来ると前日の分も含み疲れが溜まってきた。特に睡眠が足りず、端の座席でグッタリ眠り込む。
前夜の転倒事故の影響は尋常じゃなく、膝と肩が動かすたびボッキボキ唸る。
でも、こんなことで負けてられない!もうすぐ最終目的地なのだから。
16時48分、定刻通り野辺地へ到着。ここからようやく本州最北端路線の大湊線だ。
自販で缶コーヒーを買い、グッと飲み干し襲い来る眠気を吹っ飛ばす。
旅のハイライトを飾る素材は十二分に揃った。あとは、列車に乗りこむだけだ。
(改めて)行くぞ、大湊!
拳を握りしめガッツポーズした後、意気揚々と大湊線の鈍行に乗り込んだ。
大湊線 [野辺地~大湊]
18時10分発の大湊行きは2両編成のワンマン気動車だ。
この路線は野辺地から下北半島の陸奥湾側を通り、終点大湊へと至る。
愛称は「はまなすベイライン大湊線」。鈍行の他、数駅のみ停車の快速も走っている。
車内は空いており絶景が展開する左側のボックスシートを確保。
車体をブルルン!と震わせ、定刻通り野辺地を発車した。
甲高い汽笛を鳴らしながら、起点からしばらく住宅街を進んで行く。
夕日は沈みかけている。事前に計算していた絶景を拝めるのも、あと少しの時間しかない。
「出来れば速めに突っ走ってくれ……!」そう願ううち、左手に少しずつ陸奥湾が近づいてきた。
身は疲れ果て、気力も擦れかけているのに、車窓に釘付けになる。
やがて有戸を出てしばらくしたところで、大湊線の車窓は化けた。
陸奥湾
赤く染まる夕景をバックに、眼の前に広がるのはただっ広い陸奥湾。
最果てそのもののような絶景だ!
怒涛の海岸線並行区間をひた走り、海を離れると列車は吹越へ到着。
どうやら、陸奥湾の絶景が見れるのは有戸~吹越間に限られるらしい。
大湊線は全線に渡って車窓が面白いと聞いたので、他の区間の車窓は明日の復路で取り上げたい。
列車交換駅の陸奥横浜を過ぎたところで陽は暮れてしまった。
車内はガラガラ。地元の学生数人と団体客が一組いるだけだ。
ここまで来れば、あとは走り行く列車に身を任せればいい。
それ以外に何か出来る体力は残念ながら使い果たした。
ぐったりと座席にもたれかかる。
東京から1000kmの終着地まで、あと少しだ!
大湊駅
「ご乗車、ありがとうございました。終点の大湊に到着です」
大湊、着いたぁああああああああああああーーーーー!
19時12分、列車は本州最北端終着駅の大湊へ到着した。
駅としての本州最北端は隣の下北だが、最果て行くのに一駅手前で降りるというのは心底気持ちが良くない。
この気持ちは根室へ行ったときもそうだった。
乗るんならキッチリ終着までがいいに決まってるじゃないか!
東京から約1000km鈍行とバスで東海岸線を辿ってきたが、その道のりは想像以上に“鬼畜”だった。
繁忙期に決行していたら多大な混雑に巻き込まれ、ヘロヘロになってた可能性大。
とりあえず今は、到達した喜びを身をもって実感したいと思う。
興奮気味に列車を撮影した後、私は駅を出た。身体が疲れきっているため駅舎を撮ったらすぐに宿へ。
大湊駅前は閑散としていて何もないが、幸いなことに駅前隣にJR直営のホテルがあった。
宿代そこまで高くないし無料で朝食がつくというから有り難い。
早めにチェックインし、到達の余韻に浸りながら就寝した。
本州最北端は無事到達したが、旅はまだまだ終わらない!
明日は津軽線に乗って竜飛崎へ行く予定だ。
次回!大湊線・青い森鉄道・津軽線・町営バスを乗り継ぎ、津軽最北の竜飛崎へ向かう!