「雪辱の鈍行旅 3/3 (広島~宮島~高松~東京)」
[2012/9/9~10]
東京から鈍行を乗り継ぎ二日かけて広島へやってきたが、最終日は宮島の厳島神社を観光したいと思う。
宮島は宮島連絡船で行くことができる。
この連絡船はJR(元国鉄)が運営してるので18切符でも乗船することができる。
日本に唯一現存する鉄道連絡船。
片道10分のみだが、鉄道切符で船に乗れるのは不思議な気分だ。
広島電鉄 [原爆ドーム前~宮島口]
まず宿の最寄り電停から広島電鉄に乗車。
広電の電車はバラエティ豊かで、古いものもあれば最新の超低床車もあるようだ。
観光する時間は限られているが、宮島へ行く前に絶対立ち寄りたいところがあった。
広島の世界遺産「原爆ドーム」である。
せっかく鈍行で遥々広島まで来たんだからコレだけは見ときたかった。
原爆ドーム
路面電車にゴトゴト揺られ、原爆ドーム前で降車。
電停のそばには公園が設けられていて、園内に原爆ドームがあった。
剥き出しの巨大な鉄骨は実際に眼にすると圧倒されるのみだ。
やっぱり教科書で見る印象とは違うし、色々考えさせられた。
原爆ドーム前から再び広電に乗りJRと接続する西広島へ向かう。
西広島でJRに乗り換えてもよかったが、せっかくだしこのまま広電に乗って宮島口に行くことに。
運賃もJRより安い。さすが日本一の路面電車の町というだけある。
宮島連絡船 [宮島口~宮島]
宮島口へ着くと真ん前に連絡船の乗り場があった。
18切符を提示し早速乗り込む。しばらくすると船は宮島向けて出航した。
日本有数の景勝地というだけあって、島の方は人でごった返している。
途中で撮影スポットの案内がされると、我先に外国人が殺到。
そのまま騒がしい雰囲気のまま、船は宮島へ到着した。
宮島
今は引き潮らしく、境内は自由自在に行き来できるようだ。
一般的なイメージは満潮の風景だがこれはこれで面白い。
大鳥居の寸前まで近づけるみたいだが、鳥居下は残念ながら水が引いていない。
ズボンをまくって鳥居を触りに行く猛者もいた。
境内ではちょうど結婚式が行われていた。
挙式料は10万円と意外(?)にリーズナブルである。
喧騒とした表を出て山の中の小道を散策。
人影はまばらで道中で鹿が優雅にくつろいでいた。
主要箇所を回った後は連絡船に乗って宮島口へ戻り、人気穴子飯店「うえの」に入店。
想像以上に混雑していて一時間ぐらい待った後ようやく席へ案内される。
腹が減りきってたのか半分ほど食べてしまったが、これが名物あなごめし。
プリプリの穴子だけでなく、炊き込みのご飯がまた上手い!
これは長時間待ってでも食べる価値があると思った。
山陽本線/瀬戸大橋線 [宮島口~高松]
宮島口からはひたすら帰路を行くことになる。
まず山陽本線を乗り継いで岡山へ向かい、岡山から瀬戸大橋線に乗って高松へ。
そして高松で寝台特急サンライズ瀬戸に乗車し、東京まで一本道で帰る行程だ。
瀬戸大橋上で日が暮れ、真っ暗になったところで列車は終点高松に到着する。
琴電に乗って数駅隣で降り、美味そうな手打ちうどんの店に入った。
カレーうどんが絶品ときいたので、早速注文。見るからに美味そうである。
量もがっつりあり、食べきるとすっかりお腹一杯になってしまった。
サンライズ瀬戸 [高松~東京]
琴電に乗って高松駅へ戻るとサンライズ瀬戸がホームで待機していた。
これに乗れば今回の18切符旅は無事終了となる。
ノビノビ座席の車両に乗り込むとゴロ寝できるスペースが端から端まであった。
上段・下段と分かれていて、それぞれ頭の方には窓がついている。
乗客は自分を除いてまだ誰もいなかった。
夜21時26分、寝台特急サンライズ瀬戸は高松駅を出発する。
すっかり疲れていたので、瀬戸大橋を渡るあたりでぐっすり眠り込んでしまった。
早朝目が覚めると、列車は相模湾沿いをひた走っていた。
眠る前まで乗客は数人だけだったが、今はほぼ満席になっている。
客車ではなく寝台電車なので、揺れに一度も起こされることがなく快適だった。
朝7時8分、サンライズ瀬戸・出雲は定刻通り東京に到着。
ホーム向かい側には、旅の初めに乗った「7時24分発伊東行き」の姿があった。
こうして、今回の鈍行旅は何の狂いなく成功。
終始天候が良くトラブルに会わなかったのがよかった。
今思えば、後に計画する北海道旅や西日本旅は、この旅で得た経験が元になっていることに気付いた。
また自分が鈍行旅に没頭するきっかけとなったのも、やっぱり2012年の18切符旅からだったと思う。