津軽鉄道とストーブ列車

「日本海北上紀行 2日目 (弘前~五所川原~津軽中里~金木~五所川原)」

[2016/1/6]


五能線を制覇した私は弘前駅で一服した後、折り返しの鈍行に乗り込んだ。
弘前~五所川原の所要時間は約50分。
津軽鉄道の列車の本数も五能線と同じぐらい少なく、来訪する行程パターンは限られている。
しかし観光要素を絞り込めば、冬でも日中のうちに両路線を完乗することは可能だ。

車内を見渡すと、ボックス席の端っこに二人分の固定クロス席があったので、
そこに身体を預けた。ぼっちには居心地の良い空間だ(涙)


五能線 [弘前~五所川原]

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13時54分、元来た道を戻って五所川原へ到着。
五所川原からは日本最北の民鉄、津軽鉄道が延びている。
津軽鉄道の乗り場へ向かうと元気な女性アテンダントさんに声をかけられた。
「ストーブ列車のってけませんかぁ??」イントネーションが完全に津軽訛りのソレだ。

「電車にストーブなんて付いてるんですか??」知ってるのにわかんないフリして聞いてみる。
「そうそうあるんですよ。古い列車なんだげどねぇ。ほら見えてきだよアレです」
跨線橋から見えてきたのは、現役の列車とは思えない旧型客車の姿。
見るからに古いっ。もちろん下調べ済だが、想像以上の代物じゃないか。


津軽鉄道 (ストーブ列車) [津軽五所川原~津軽中里]

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本州最北の民鉄津軽鉄道の歴史は、五能線の変遷と深い関わりを持っている。
元々五能線の川部~五所川原間は陸奥鉄道という私鉄が運営していたが、後に国に買収されると、
買収額を受けた旧陸奥鉄道の株主が新たに鉄道計画を立ち上げた。これが津軽鉄道の大元だ。
五所川原から中里まで線路を延ばし、全通したのが1930年。全線非電化で12の駅を有している。

乗り場に骨董品みたいな客車が停まっている。「ホントに動くのコレ??」って思わざるを得ない。
津軽鉄道の名物、ストーブ列車だ。津軽の冬の風物詩として親しまれている伝統の列車。
運行は冬季のみらしいが、運行期間中は休日・平日問わず毎日走っているという。
乗車するには、普通運賃の他にストーブ列車料金を払う必要がある。

1日15本走る津軽鉄道のうち、現時点でストーブ列車として運行されるのは最大で1日3本だ。
乗り込むと団体客でほぼ満席状態で、香ばしいスルメの臭いが漂っていた。
ストーブの網棚でスルメを焼いて食べることができるそうな。


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端のボックス席だけあり合わせたように空いてたので、私はそこに居座った。
国鉄が譲渡した客車のようだが、床は継ぎ接ぎだらけで木製になってるところもある。
JR的な飾りっ気も無いし、昭和そのまんまの再現度は大井川鉄道といい勝負だろう。

照明が点いてないので車内は薄暗い。この薄暗さがまた良い感じだ。



客車を温めているのは、この列車のウリでもあるだるまストーブだ。
一両に二台取り付けられていて、どちらも火が入れられ現役の保温装置として車内を温めている。
エアコンの暖房では成し得ない素朴な温かさは、やっぱりストーブならでは。
手をかざしてみると、ぬくい温かみが感じられた。

14時10分発、津軽中里行きは定刻通り出発する。
五所川原の市街地を出ると、見渡す限り真っ白の津軽平野に出た。


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アテンダントさんが津軽弁で案内をしながら、列車はゴトゴト進む。
少し前まで晴れていたが、次第に曇ってきて雪が降り始めた。
車窓は素朴な平野が続く。


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金木で団体客が降りていくと、今度はTV撮影の人が入ってきて車内でロケを始めた。
車掌さんがストーブに石炭をくべ、カメラマンがその様子を捉える。
乗客は僅かとなったが、札幌の方からやってきた鉄子の方(おばさんだけど)がいて、
アテンダントさんと打ち解けて話している。北国通し何か通じるものがあるのか。


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左手は広大な津軽平野が広がっているが、右手は険しい山々が連なっている。
半島を南北に貫く中山山脈だ。あの山脈の向こうには津軽線と北海道新幹線が通ってるはず。
山脈の向こうでは新幹線の開業準備が進んでるのに、こっちは半世紀前の旧型客車が走ってるんだから面白い。



列車のスピードはゆっくりしたものだが、終点はあっという間に近づいてきた。
深郷田(ふこうだ)という珍名の駅を過ぎると、津軽中里はすぐそこだ。


津軽中里駅

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津軽中里、到達!!


14時58分、ストーブ列車は終点の津軽中里に到着した。
日本の私鉄では最北の駅で、駅名標もここぞ!とばかりに最北ブランドを掲げている。



当初の計画では津軽中里から路線バスに乗って北へ行こうとしていたのだが、
特に見るものがなさそうだったので、折り返しの列車に乗り金木で途中下車する行程に変更。
折り返しの列車が出るのは20分後なので、それまでまったりすることに。



乗り場の先で線路が途切れている。あそこが正真正銘、津軽鉄道の末端だ。
津軽中里駅は現役の線路が二本あって、車掌が気動車を動かして連結作業を行っていた。

「古い客車ですねえ。私はよく知らないんだけどねえ、国鉄の客車ですよねえ」
「そうですね、良い味出してますね!機関車もあるらしいですが今日は気動車で引っ張ってるみたいですね」
「あの気動車は新型ですね、気動車は北海道行けばすごいのが走ってるけどねえ。私はよく知らないけどねえ

列車を待つ間、どう見てもテツの人と会話を交わす。
知らないフリしてるけど絶対何でも知ってるパターンだろコレw。


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津軽中里の駅構内。もちろん自動改札や自動券売機なんて無い。
掲示物がベタベタ貼ってあり、よく見ると萌えキャラのポスターまであったりして、
いい感じにローカルでカオスでごった煮だ。地方ローカルの味だと思う。



大人しく待ってると、アテンダントさんから「最北端証明書」を贈呈された。
自己満気味の乗りテツも、こうしてモノで提示されると心に残るんじゃないかと思う。


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津軽中里の駅舎は物販施設と併設している。
駅前に弘南バスの停留所があり、バスに乗って小泊方面へ行くこともできる。
しかし小泊から先はバスが通じてないので、津軽中里からさらに北へ出て竜飛岬へ行くことは出来ない。
それがちょっと残念だと思った。

折り返し列車の時間が迫ってきたので、窓口で切符を購入。
津軽鉄道は普通切符でも硬券を使ってるらしい。普通切符でも硬券ってのは今時珍しい。
乗り場に向かうと、五所川原側に連結された気動車が待機していた。


津軽鉄道 [津軽中里~金木]

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15時22分発の津軽五所川原行きは二両編成で、気動車にストーブ列車が連結されている。
「走れメロス」と掲げられた気動車は、ロングシートもあるがクロスシートが主体のようだ。
往路のストーブ列車の乗客が大半を占めていて、気動車には地元客一人と私一人がいるのみ。

定刻が来ると、エンジンを唸らせて津軽中里を出た。
何故か車内に小説が置いてある。太宰治だけなのかと思いきや、
そんなことはなくジャンルは多彩だ。文学は疎いから何ともいえないが……


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鉛色の空の下、一両の気動車が一両の客車を引っ張って平野をひた走る。
田園をゆっくり進むと鬱蒼とした林へ入り、芦野公園へ。
桜の木々に囲まれた華やかな駅だが、今は雪に閉ざされている。

津軽鉄道の踏切の音は懐かしい音色だ。すっごいアナログな音。
東京近郊で嫌というほど聞く「カンカンカン!」とは違う、本物の鐘の音も聴こえた。


金木駅


津軽中里から15分ほどで、観光拠点の金木へ到着。
数分後、列車はまっ平らな平野へ走り去っていった。

高校時代、中二病系の文学や漫画に染まってた時期があったらしいブログ主は、
アテンダントさんのススメで、太宰治の住んでた生家に行ってみることにした。
金木は太宰治の故郷で、少年時代に住んでいたときの豪邸が残ってるという。

太宰治の生家は金木駅から徒歩5~7分のところにあるらしいので、行ってみようか。


斜陽館

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通行量の多い県道の脇に、太宰治の豪邸はあった。太宰治が住み育った本物の生家で、
現在は記念館「斜陽館」として観光化され重要文化財に指定されている。

実はこの道路沿いには、太宰治だけでなく吉幾三の豪邸もあるらしいが、
時間があんまし無いのでIKZOはスルーで。ゴメンね、IKZO!
今の五所川原はIKZOラップの名残なんて微塵も無い。街として立派に発展してる。
テレビもあるしラジオもあるだろうし車もそれほどに走ってるぜw



入館料は大人500円。中に入ると、大規模な間取りを凝らした空間が広がっていた。
一階に11室、二階に8室の部屋があり、庭園や蔵もある。正に大地主の豪邸って感じだ。
外観だと和風のイメージが濃厚だが、内部は和洋折衷を凝らした造りになっている。

走れメロスや人間失格しか読んだことのない人(←自分)でも、斜陽館は楽しめると思う。
「へえーここが太宰が○○してた場所なのかぁ」みたいな感じで、楽しめるよ、味わえるよ。


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谷崎潤一郎の「陰翳礼賛」を読んだら、こういう和室の美がなんとなくわかった気がする。
薄暗い灯りから醸し出す空間こそ、古来の日本住宅の陰影美だと思う。
神社や家屋に入ると不思議と気分が落ち着くが、斜陽館も同じモノを感じた。

斜陽館は広く、軽く一回りするだけでも充実した見学が出来るようだ。
見るだけ見て閉館間際に出る。「外は寒いのでお気をつけて」と、
受付の人のあったかい言葉が身に沁みた。


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時刻は17時を過ぎているが、もう真っ暗だ。鉛色の空、凍りついた街、憂鬱な日暮れ。
これが北国の人が毎日味わってる現実なのかと、二日目にして実感している。

真っ暗になった外から見る斜陽館は美しかった。綺麗なぁ……!


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アイスバーンと化した道を歩き金木駅へ戻ってきた。これからしばし夜の旅の幕開けだ。
日は没したが休む暇は無い。青森からはまなすが出るのは5時間以上先である。

果たして、朝4時から夜22時まで気力をフル稼働できるかどうか。というか既に瞼が重いんだが。
風吹き荒ぶ中待つこと数分、単行気動車がヘッドライトを照らしてやってくる。
「マジさみぃー!!」と滑稽な姿を晒し、一人列車に乗り込んだ。


津軽鉄道 [金木~津軽五所川原]


最後に乗る津軽鉄道の鈍行は、客車無しの単行気動車。17時15分発の津軽五所川原行きである。
金木では対向列車の行き違いをするようで、互いに着くとタブレット交換が行われた。
車内はガラガラで悠々とボックスシートへ。タブレット交換後、列車は間もなく発車する。



真っ暗な平野を抜け、終点近くになると地元の学生が乗り込んできた。
眠気の限界はとうに超えていて、ウツラウツラしてると五所川原へ到着。
こうして、津軽鉄道の往復旅は終了。本州最北の民鉄は寒さに負けず頑張っていたぞ。


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オレンジの気動車に別れを告げ、最後に跨線橋から津軽鉄道の乗り場を眺める。
ちょうど帰り時らしく、地元の学生が単行気動車に続々と乗り込んでいた。
当たり前の日常風景なのになんかぬくい!(ぬくい好きだなーw)
こんなぬくい鉄道が本州最北にあったのだ。大いなる地元の民鉄としてこれからも頑張ってほしい。

五所川原からは五能線と奥羽本線で青森へ向かいたかったが、残念ながら列車の接続が悪い。
次来る五能線の下り列車は一時間以上後だ。リゾートしらかみがあれば効率良く行けたが、今日は走ってない。
そこで今回、私は路線バスで青森へ抜ける行程をおっ立てた。その方が時間的にも効率が良いのだ。

次回、弘南バスで青森へ向かい夜行急行はまなすに乗って北海道へ上陸する!


コメント

  1. 名無しのようかん より:

    同業者というものは何故か自らの知識をさらけ出すことを恐れるのです 本当はすべて知っているんですけどね(笑)

    タブレット交換は昔ビデオで見たことしかなく現在もあるのは知らなかったです
    太宰治は青森生まれでしたか、これはそのうちいってみたいです、へやの中は寒かったですか?

    いよいよはまなす、更新楽しみにしています

  2. なまらゆうと より:

    名無しのようかん様、コメントありがとうございます。

    全部知ってるけど知識をさらけ出すと、完全にオタク丸出しですからね…。
    知識をさらすとその次点でオタク100%確定なので、みんな恐れてるんでしょうね(笑)。

    タブレットの知識や仕組みはあまり知り得ませんが、今も残ってるところが僅かにあるようですね。
    由利鉄も途中駅でタブレット交換やってました。案の定、テツが集まってカメラを向けてましたね。
    斜陽館は普通に楽しかったですよ。木の床が冷たかったけど、旅の楽しみだと思えば何てことなし!

    次回は、今日突貫で完成させ公開する予定です (^_^)。

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