碓氷峠の旧線跡を歩く

「碓氷峠訪問記 3/3 (峠の湯~碓氷第三橋梁~熊ノ平)」

[2015/7/12]


高崎からSL碓氷に乗って横川までやってきた私は、
すかさず碓氷峠鉄道文化むらのトロッコに乗り込み峠の湯まで到達した。
ここからは碓氷峠の旧線跡「アプトの道」を辿って碓氷第三橋梁へ向かうことになる。


アプトの道


とうげのゆ駅から碓氷第三橋梁までのルートは、こんな感じだ。
地図では碓氷峠の廃線区間は抹消されているが、峠の湯から続くアプト時代の旧線については、
近年になって観光化・整備され「アプトの道」として生まれ変わった。今回はこのアプトの道を辿っていきたい。

峠の湯付近は粘着方式の新線と旧線の分岐点になっており、熊ノ平信号場まで別のルートを辿っている。
新線が北側を迂回する経路となってるのに対して、旧線は中山道と絡みながら敷かれている。
アプト時代の旧線上がそのまま遊歩道になっており、当時の隧道も残っているから楽しみにしていた。


アプトの道 [峠の湯~碓氷第三橋梁]

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水分補給した後、駅前から続くアプトの道へ突入した。
画像だけじゃわからないかもしれないが今日は死にそうなほど暑い。
碓氷峠の時点でこの暑さだから下界の群馬市街地はもっと暑いんだろう。


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とうげのゆ駅から続く旧線跡において最初に待ち構えるのが第一隧道だ。
碓氷峠区間の隧道は26あるが、この隧道は横川から上ってきて最初に待ち構えるトンネルだ。
これまでトロッコで上ってきた区間は峠区間の“序章”に過ぎなかったのである。

現代の隧道と比べて坑門に装飾が多いのは、当時は隧道を掘ること自体が一大事業だったからだという。
古い隧道ほど坑門が派手に着飾られ建設者の誇りが示されているというわけだ。
両脇に据えられた“壁柱”(装飾としての役割が強い)が、如何にも昔の隧道って感じ。


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坑門をくぐり隧道へ入ってみる。
トンネル内部はきちんと電灯が設けられていた。


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第一隧道と第二隧道を抜けると、左手に碓氷湖が見えてきた。
旧線跡の道からそのまま湖畔へ行けるようになっており小休止することも可能だが、
私の目的地は碓氷第三橋梁なので先を急ぐことに。


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短い第三隧道と第四隧道を抜けると、辺りは本格的な山の中。
あとは第五隧道を抜ければ、碓氷第三橋梁へ辿り着くはずだ。

これまでは短いトンネルばかりだったが、この隧道は結構長く243mもある。


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第五隧道の内部へ。人が誰もいないとちょっと怖かったりする。
線路は撤去されているがトンネル内の意匠は残されており、雰囲気は満点。
しかし、こんな薄暗いところで通行人と挨拶を交わすのもシュールなシチュエーションである。


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長い長いトンネルをひた歩き、左に大きくカーブした先で出口へ。
碓氷第三橋梁は第五隧道を出てすぐのところにあった!


碓氷第三橋梁(めがね橋)

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碓氷峠といえばまず想起させるのが碓氷第三橋梁(めがね橋)なのだ。
1893年に完成した煉瓦造りのアーチ橋で、碓氷峠区間を代表する建築物である。


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橋の下には国道18号が通っており、車のアクセスが容易なためか観光客で賑わっている。
隣接する階段で橋上に来れるので車で来た人も容易に探索が可能だ。


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橋の上から北側を見てみると、錆び付いたまま取り残された碓氷峠の新線が見えた。
アプト式の旧線は賑わってるのに新線は取り残されたまま……完全な放置状態。
今にも列車が通りそうな雰囲気だが、もうあの線路に列車が通ることはないのだ。


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階段で下へ降り橋を見上げると、想像以上に巨大な橋であることを実感する。
長さ91mで高さ31m。300万個に及ぶ煉瓦によって組み上げられた、明治の技術の結晶。
特に印象に残ったのは橋脚だ。今の無味乾燥な橋では考えられない装飾が、激動の時代を伝えている。


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カメラを向けているうちに、あっという間に時間は過ぎていく。
しかし復路のトロッコの出発まで、まだ時間があった。
「熊ノ平、行っちゃうか??」時間がキッチキチになりそうだが、
アプトの道は熊ノ平駅跡まで整備されてるようなので頑張って行ってみることにした。


アプトの道 [碓氷第三橋梁~熊ノ平]

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碓氷第三橋梁から先にある第六隧道へ突入。熊ノ平まで1.3kmの道のりだ。
第六隧道は碓氷峠の中で最も長い隧道で、長さ546mに及ぶ長大トンネルとなっている。
トンネル内には煤煙を逃がすための換気口が設けられていた。


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長い第六隧道を抜けてからも隧道が小刻みで続くが、その合間に小休止できるベンチがある。
「ここは何処なんだ??」と言いたくなるような深い山の中だ。
茹だる暑さに身を窶しながら、浴びるように水を飲んだ。


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第七、第八、第九、そして第十隧道を抜けた先に熊ノ平信号場はあった。


熊ノ平駅/信号場跡

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横川~軽井沢の碓氷峠区間において唯一存在した駅が熊ノ平だ。
当初はSLを休めるための給水所だったが、1893年に駅に昇格し客扱いを行っていた。
しかし新線が開通してから間もない1966年に信号場へ降格。長野新幹線開業までその使命を果たしたのだった。

この駅の存在は知っていたのだが、想像以上に規模の大きい駅だったらしい。
駅の横にあるのはかつて稼動していた熊ノ平変電所の成れの果てである。


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駅構内には、当時の駅の様子を捉えた写真が展示されていた。


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列車一本が峠を越えるために運転士4人助士2人と機関車4両を使って運行していた伝説もあるアプトの鉄路は、東京~新潟を結ぶ唯一の鉄道として機能していた。
その長い道のりの中で最も困難な区間が碓氷峠だったというわけだ。


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「へーすごいねーこんなとこ電車が走ってたって」「でもさ俺らじゃねえよこういうの見て感動すんのは」
カップルが廃墟と化した駅構内を見てぼやいていた。
俺も正直実感ないというか……”横軽”っていう言葉もいまいちピンとこないんだよね。
あくまで信越本線の一部って印象があるので。


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一般人が立ち入れる旧線跡の最奥まで来てしまった。ここから先は立入禁止だ。
軽井沢方面の線路は雑草が生い茂っていて“廃線”の様相を呈している。
ここからさらに徒歩で進んで軽井沢へ向かうには、国道18号をひたすら歩かなければならない。

熊ノ平の風景を焼きつけた後、私は復路のトロッコに間に合わせるため早足で引き返していった。

・旅の総費用:6440円(JR運賃+指定席券+トロッコ運賃+文化むら入園券)
・乗った乗物の数:鈍行4本+SL1本+トロッコ1本
・総距離/所要時間:約160km/7時間


碓氷第三橋梁のアクセスは車が完全優勢で、公共交通と徒歩で訪れる場合は難易度が高くなる。
路線バスも一応あるのだが運行日が非常に限られている上に1日1本しかないため、全く現実味がない。
よって今回決行した文化むらのトロッコを活用するパターンは、車以外では最もラクなルートだと思われる。
トロッコも限定運行だが3月~11月の土日祝日に常時運行しており、1日5本なのでまだ旅程を立てやすい方だ。

SLに乗り、トロッコに乗り、碓氷第三橋梁へ訪れ、帰りついでに文化むらで展示車両も見学可能と、
鉄オタにはたまらない日帰りプランだと思う。あまりやる人いないと思うけど(笑)

(完結)

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